携帯電話もテレホンカードさえもなかった45年ほど前、通っていた学校の私のクラスには、授業中に回し読みされるノートがありました。そのノートは、夕方になるとクラスの誰かがそっと持ち帰り、次の朝になると決められた場所に戻っていました。
そのノートには、オリジナルの詩や短い小説、4コマ漫画、好きなバンドの逸話、兄弟げんかとその顛末、恋の悩みに、カップラーメンの食べ較べまで、さまざまなコンテンツが書き込まれていました。
今にして思えば、あまりにもアナログな形態ですけれども、これってSNSの投稿と言えなくもないですよね。前日書き込まれた内容に、補足してくる人や別の見方を書き込む人もいて、休み時間にバズってしまう週なんかもあったように覚えています。
たまに他所のクラスの人がノートの書き込みに乱入することもありましたが、互いに顔見知りであることもあって、炎上するようなことはなかったように思います。炎上の原因を、各人の行き過ぎた正義感によるものだというような風潮があるようですが、私はそのようには思いません。
相手に対するリスペクトが少しでもあれば、かなり大きい範囲で寛容になれると、私は確信します。私たち人類は、アフリカ大陸の低地で生まれ全世界に散りじりになって、数万年の単位でそれぞれの歴史を刻んで来たのです。
ほんの少しの違いしかないからこそ、たまに大きないさかいを起こすのです。それは、周波数が少ししか違わない2つの音波や振動が共鳴して、ワイングラスをこなごなに割ってしまうような、大きなエネルギーを生み出してしまう現象に似ています。
ところが、ほんの少しの周波数の違いがあっても、互いに相手を信頼して、ほんの少し合わせようとするだけで、美しいハーモニーとして人々の大きな感動を呼ぶこともできるのです。
このような話を、あなたはどのように考えますか。