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スマホはどんなカタチに進化するのでしょう

2007年に発表・発売されたiPhoneに続いて、携帯電話は一気にスマートフォンに変化して行きました。その後、iPhoneも含めて画面は大きく写真は美しく変化しましたが、最初に比べて大型化したために、片手で画面全体を操作するのが難しくなってしまいました。

 

スマホは、このあと、どんなカタチに進化するのでしょうか。

 

既に、bluetoothによって時計やイヤホンと連動していますので、そのうちにスカウター型のヘッドマウントディスプレイが普及すれば、スマホの本体機能は、時計かイヤホンかスカウターのどれかに取って代わられてしまうかもしれません。つまり、現在のスマホ本体はなくなってしまうのでしょう。

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スカウター型のヘッドマウントディスプレイ

 

もしかすると、テーマパークでよく見かける『耳付きキャップ』にスカウターをとりつけたようなカタチに変化するかもしれません。

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耳付きキャップの例

 

あるいは、AIを使ったロボット技術が向上して、スマホがドラえもんや鉄腕アトムのような友達兼ボディガードのように変化するかもしれません。一緒にいるだけでなく、ピカチュウのように肩に乗せるタイプも生まれてくるかもしれません。

 

そんなことになっても、現在のスマホを使い続ける人も少なからず存在して、『板チョコかじってる』なんて言われるのかも知れませんね。

 

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インターネットを住民のための基幹インフラとして整備してほしい

大阪市長が幹部職員への年頭挨拶を放送で行ったらしいです。従来は、区役所勤務の幹部職員まで市役所に集めて行っていたようなので、かなり良い改革になったものと考えます。

 

残念だと思う点は、20年以上も前に阪神淡路大震災を経験した自治体でありながら、昔ながらの優雅な年賀式の形態を維持したままだったことです。幹部職員が一同に集まったときに大災害が発生したら、幹部職員が各地域に戻るまで、誰が区役所の指揮を執るのでしょう。

 

幹部職員が各地の区役所に戻れる手段が100パーセント確保されているわけでもないのに、あまりにも無謀な悪習が続いていたと言わざるを得ません。まさか『正月明けに地震なんて起こらないだろう』なんてことを考えているとは思わないですけど…。

 

1995年の大震災発生時には、まだインターネットの普及が始まったばかりだったものの、阪神淡路大震災によって、電話回線を補完する通信網としてインターネットが役立つことが証明されているのに、幹部職員がのこのこ市役所に集結するなんて、なんて優雅な儀式を続けてきたのでしょう。

 

その後2011年の東日本大震災でも2016年の熊本地震でも、繋がらない電話の代わりにSNSが安否確認に有効利用されたことも知っているはずなのに、ひょっとしたら大阪市では緊急地震速報を携帯電話やスマホに流したり、避難所をどう設置するかというようなことしか、災害に対する備えを検討していないのでしょうか。

 

大災害が起こったあとで、市役所と各地の区役所とが必ず連絡できるような強靭な通信網を整備しておくことも、災害に対する重要な備えの一つであるはずです。そのような備えを推進していれば、もっと早い時期に、その強靭な通信網のテストとして、市長の年頭挨拶などを放送でやってみようという発想が出るのはごく自然なことと思います。

 

そのような強靭な通信網が整備されれば、幹部職員だけを対象に市長が年頭挨拶を行うのではなく、各職場の全てのパソコンを使って職員全員に年頭挨拶を行えるようにもなるでしょう。それが災害時の予行演習を兼ねているなら、誰からも非難されるようなことはないものと思うのですが、どうでしょう。

 

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SNSの原点と言えるかもしれない大切なこと

携帯電話もテレホンカードさえもなかった45年ほど前、通っていた学校の私のクラスには、授業中に回し読みされるノートがありました。そのノートは、夕方になるとクラスの誰かがそっと持ち帰り、次の朝になると決められた場所に戻っていました。

 

そのノートには、オリジナルの詩や短い小説、4コマ漫画、好きなバンドの逸話、兄弟げんかとその顛末、恋の悩みに、カップラーメンの食べ較べまで、さまざまなコンテンツが書き込まれていました。

 

今にして思えば、あまりにもアナログな形態ですけれども、これってSNSの投稿と言えなくもないですよね。前日書き込まれた内容に、補足してくる人や別の見方を書き込む人もいて、休み時間にバズってしまう週なんかもあったように覚えています。

 

たまに他所のクラスの人がノートの書き込みに乱入することもありましたが、互いに顔見知りであることもあって、炎上するようなことはなかったように思います。炎上の原因を、各人の行き過ぎた正義感によるものだというような風潮があるようですが、私はそのようには思いません。

 

相手に対するリスペクトが少しでもあれば、かなり大きい範囲で寛容になれると、私は確信します。私たち人類は、アフリカ大陸の低地で生まれ全世界に散りじりになって、数万年の単位でそれぞれの歴史を刻んで来たのです。

 

ほんの少しの違いしかないからこそ、たまに大きないさかいを起こすのです。それは、周波数が少ししか違わない2つの音波や振動が共鳴して、ワイングラスをこなごなに割ってしまうような、大きなエネルギーを生み出してしまう現象に似ています。

 

ところが、ほんの少しの周波数の違いがあっても、互いに相手を信頼して、ほんの少し合わせようとするだけで、美しいハーモニーとして人々の大きな感動を呼ぶこともできるのです。

 

このような話を、あなたはどのように考えますか。

 

 

 

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お初天神に初詣に行ってきました。

2019年が明けました。近松門左衛門の曽根崎心中で有名な、お初天神に初詣に行ってきました。JR大阪駅から歩いて10分ほどで行ける、繁華街の片隅にある神社です。

 

お初のような美人になりたい女性の初詣客が混ざっているので、『恋人の聖地』という割には、他の神社と比較しても恋人同士の初詣客がそれほど多いわけではありません。

 

 

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2019初詣

 

境内を廻ってみて気になったのが、おみくじの種類の多さです。六角柱の箱から棒を引くタイプの、普通の『和・英バイリンガルおみくじ』と『恋みくじ』、透明な箱から折りたたんだおみくじを直接取るタイプのもの、それに自動販売機で買う格安タイプのおみくじもあります。

 

さらに社殿の近くには、ロボット獅子舞が神殿から選んできてくれるタイプの『おみくじ』と『恋みくじ』までありました。選べるおみくじの種類が半端ないと思っていたら、開運稲荷社の近くにも『おまけ付きおみくじ』が置いてあり、なんとホームページ(PC版)からもおみくじを引くことができました。

 

ここまでやるならいっそのこと、amazonでおみくじを買えるようにして、大吉が出たらmercariに出品してみて…、などと、正月早々何を考えてしまうことやら。

 

インターネットが高度に発達した社会では、おみくじはどんな形態になっていくんでしょうね。引いたおみくじのありがたみを感じながら、スマホで読む時代が来るのも良いかもしれません。