相模原の障害者施設殺傷事件の裁判が結審しました。この裁判は、被告の責任能力の有無とその程度が主な争点です。
この裁判は既に、被告が死刑判決を受けるであろうと見込まれているそうです。障害者が社会に存在することを認めないという片寄った理由で、19人を殺害し26人を傷つけた被告は、その殺傷人数の多さから、死刑は免れないだろうということのようです。
被告は、「自分には責任能力がある」と主張したり、結審の際には「どんな判決が出ても控訴しない」と述べる一方、障害者への差別的な発言を繰り返しているそうです。
障害者への極端な差別発言は、被告が事件を起こす5ヶ月前に措置入院された理由になっています。事件から4年近く経っていてもなお、事件当時と同様の片寄った差別発言を繰り返しているということは、自傷他害のおそれのある精神障害が今でも継続していると言うことになります。
それに、責任能力のある健常者であるならば、自分に死刑が言い渡されるかもしれない裁判の場で、わざわざ責任能力があることを印象づけたり、極刑でも控訴しないという意味を持つ発言をしたりするでしょうか。
さらに言えば、精神障害を疑うような片寄った思想を主張していることを理由にして被告に死刑を言い渡すことは、障害者は生存を許されないと主張して無残な殺戮を実行した被告の論理と、ほぼ同じと言えるのではないでしょうか。
もちろん被告は、残忍な事件を実行した報いを受けなければなりません。しかしそれは、片寄った思想を持つに至った原因を排除して、更正してから後に悔い改めた上で、被告が自ら罪をつぐなう努力を実行すれば良いのではないでしょうか。
『いったい何が被告に、残忍な殺戮を実行するような、極端に片寄った思想を植えつけてしまったか』を明確にしていく、人々の弛まぬ努力が、この社会を変えていくことにつながるのだと、私は固く信じるものです。