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いのち輝く未来社会

監視社会と長編SF小説「声の網」

1970年に発表された星新一の「声の網」という長編SF小説があります。電話網を管理するコンピュータが人々を「監視」しながら、試行錯誤を繰り返して世の中を支配していく物語です。
 
その物語の中で、コンピュータは、人の秘密を盗聴したり、盗聴した情報をネタに悪事を働かせたり、わざわざ事件を予告して未然に防がせたり、ひとりひとりがどんな反応をするか、静かに観察を続けていきます。そして、ある夏の日、コンピュータは故意に情報操作を重ねて、一日がかりで住民全体をパニックにおとしいれます。
 
12編の短編小説によって構成されるこの小説は、現在では、インターネット社会を予見した小説とみなされているようで、私自身も何年か前まではそのように受け止めていました。技術の発達によって情報が行き交うスピードが上がりすぎると、予測できない現象が起こると警告している物語だという具合に考えていました。
 
ところが現在、この小説が伝えようとしているのはそんなことではないと思うようになりました。この小説の最後には、コンピュータに支配されていながら、平穏に日々を暮らす人々の様子が描かれています。まだ若い頃にこの物語を読んだ私は、何かはぐらかされたような気持ちを長い間引きずっていました。
 
現代の民主主義は、透明性の確保と多様性の容認が欠かせないと思います。説明責任があるとか、少数意見にも耳を傾ける、といったことです。ところが、この小説が発表された1970年当時は、密室政治だとか、万年野党だとか、民主主義でありながら前例を重んじる悪しき慣習が数知れず残っていた時代でした。
 
星新一は、そんな未熟な民主主義に憤りを感じて、公平なコンピュータに生活を支配されるほうが、少しはマシな世の中になると言いたかったのかも知れません。または、世の中をわずかでも成熟させていくには、軋轢を何度も乗り越える覚悟が必要になることを伝えておきたくて、ひとまとまりの物語にして遺したのかも知れません。
 
「声の網」が出版されて50年近くも経っているのに、この国は残念ながらまだまだ未熟なままであるように、私は思います。
 
監視カメラや防犯カメラのおかげで、事件や事故の詳細な記録が残りやすくなりました。もちろん、その運用を間違うと、プライバシーの侵害となることはいうまでもありません。
 
一方、社会全体として「権力の監視」も当然必要でしょうが、権力に反対するだけでは何も良くなりません。堂々と代案を提案して議論を重ねることによって、より良い社会に変わっていくのではないでしょうか。
 
人の意見を攻撃するばかりでなく、少しでも状況が良くなるように、ひとりひとりが代替案を考え、努力し続けることが、世の中を成熟させるのに欠かせないと考えます。
 
そうでなければ「声の網」のように、盗聴やカメラによる監視によって、AIに全てを任せてしまう公平な社会のほうが、いつまでも幸せに暮らせるのではないかと思ってしまいます。

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