一切の表現の自由は、日本国憲法第21条で保障されています。それなのに、この夏から時々話題になる「表現の不自由展」は、その展示会名称そのものが不自然であるとは思いませんか。
もちろん、一切の表現の自由が保障されていると言っても、法治国家ですから、公共の福祉に反したり他人の人権を侵害する場合は、表現の自由は制限を受けるのは当然のことです。
たとえば、性的な表現や暴力行為を表現する映画が年齢制限を受けたり、殺人の過程を映像化することは犯罪とみなされる、というようなことです。これらの場合は、「制限を受けた表現の自由」と表現できると思います。
それでは、「表現の不自由」というのはどのような場合と捉えることができるのでしょう。おそらくは、作品を美術館に出展した製作者本人が「表現の不自由」を感じたということだけのような気がします。それぞれの美術館には、展示基準があると思いますので、必ずしも製作者本人の希望に沿った展示がされるとは思えないからです。
もしそうであるなら、製作者自身の一方的な主観を伴った作品を、公共であれ民間であれ美術館がわざわざまとめて展示する必要があるのでしょうか。製作者自身が個展などを主催して展示するだけで良いのではないかと、私は思います。