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いのち輝く未来社会

人工知能(AI)に仕事を奪われるのかーふたたびー

10年後の2029年には、コンピュータの知性が人間を超えるという予測があるらしいです。そして2045年には、コンピュータや人工知能の能力が、全人類を合わせた程度の知能を持つようになるようです。だから、いろいろな職業が人工知能に取って代わられると言われています。

 

本当にそんなことになるのでしょうか。確かに2020年代前半には多くの自動車メーカーから全自動運転車が供給される計画になっています。しかしながら、だからと言って、そのままタクシーやトラックが全て自動運転になるかというと、必ずしもそうなるとは限らないように思われます。

 

だってそうでしょう、電車が導入されたからといって、全ての汽車やディーゼルカーが電車に置き換わるようなことは、すぐには起こりようがなかったからです。電気自動車が販売されたからといって、ガソリン車やハイブリッド車が売れなくなることがなかったのと同じ理由です。

 

ソロバンを仕事で使う人など今ではほとんどいないでしょうが、暗算による右脳トレーニングを提供するソロバン教室は今でも全国に6000件ほどあって健在です。それに、人工知能の「暗算能力」が全人類を合わせた知能をはるかに超えたところで、右脳を鍛えるジムとしてのソロバン教室は、人工知能に取って代わられるどころか、かえって人気が出るのではないかとさえ思われます。

 

もちろん、行政などのサービスコスト低減のために人工知能を使うことには多くの人が歓迎するとは思います。しかしながら、人工知能がテキパキと受付してくれるホテルよりも、女将さんがにこやかに出迎えしてくれる旅館を選択する人は、案外たくさんいるのではないかと考えます。

 

人類は結構したたかにできています。送電施設のほとんどない地域では、太陽電池から充電することによって、パソコンやスマホを使いこなしている様子がテレビでも紹介されています。自らの知能がコンピュータや人工知能にどれだけ劣ることになっても、われわれ人類は生きるための職業を、いくらでも創り出していくのではないでしょうか。

 

 

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あまりにも痛ましい小4女児死亡事件

野田市で小4女児が死亡した事件が連日、テレビなどで報道されています。毎日のように新事実が加わるごとに、死亡した女児の置かれた環境があまりにも痛ましいことに激しい衝撃を受けています。

 

学校、教育委員会、児童相談所それに母親までが父親の思惑通りに行動してしまっています。つまりは社会全体がこの女児を見放して、父親の手の内に送り込んでしまったのです。女児は最後に自分の意思で、父親への抵抗を止め、呼吸することすら諦めてしまったのかもしれません。あまりにもむごい状況に言葉が見つかりません。

 

間違いなく、職場などでのストレスを家庭内で晴らそうとする身勝手な父親の責任なのでしょうが、この家族がそのような状況に陥っている点を見逃し続けた社会というものも普通ではないと、私は思います。

 

この事件に関わる報道は、児童相談所や教育委員会の対応にフォーカスを当て続けていますが、ことの発端は父親の母親に対するDV、つまり暴力です。テレビなどの報道を見ていると、この家族が沖縄で暮らしている頃から母親への暴力は始まっていたらしいからです。

 

改めて言うまでもなく、暴力は犯罪です。虐待だけでなくいじめやハラスメントも、その本質は暴力事件です。当然、言葉の暴力も含まれます。私たちは、これらの暴力に敏感であり続けなければなりません。

 

全ての行政機関や住民が、わずかでも不審に思ったり、事件性を感じた暴力には、警察に通報することを自ら義務づけ、その行動を人にも奨励することが、この社会に参加しているものの最低限のマナーではないでしょうか。

 

拾った財布や落し物は警察に届けるような良い習慣を持った社会なのですから、ご近所や身の周りのことに少しばかりお節介なことをしても良いのではないでしょうか。万が一、通報したことによって報復を受けるのであれば、そのような報復を断じて許さない法律を国会で作れば良いではありませんか。

 

 

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自由な生活をするために2年の期間が必要なのか

ジャニーズの超人気グループが来年の年末に活動休止するそうです。リーダーが「自由に生活をしてみたい」というのが、活動休止に至った理由であるらしいです。職業選択の自由が認められているこの国で、アイドル活動を休止するために、なぜ2年もの長い期間が必要なのでしょうか。

 

これまでにも、1年の期間をかけて引退した歌姫や、グループ解散から10ヵ月経ってから新しい事務所に移った国民的アイドルもいました。このような「お礼奉公」は本当に必要なのでしょうか。

 

少し調べてみると、アイドルや歌手の場合、芸能事務所とレコードレーベルの2社にそれぞれ所属するらしいです。片方でマネジメントしてもらい、もう片方でCDを作ってもらうようです。ただの推測にすぎませんが、事務所にもレコードレーベルにも、双方の顔を立てるためには、1年や2年ぐらいの期間の「お礼奉公」が必要なのかもしれません。

 

しかしながら、「自由に生活してみたい」リーダーは、なかなかの才能がある芸術家の一面を持っており、おそらくはその才能を伸ばすために、ここ数年はソロの芸能活動を控えていたようです。

 

それが本当ならば、アラフォーになって芸術家の道を拓こうとするリーダーに対して「2年間の縛り」を課した事務所やレコードレーベルは、かなり無慈悲なことを押しつけているように思われます。やりたいことを持っているリーダーに、「お礼奉公」などさせることなく、まずは自由に好きなことを始められるように考えてやるのが大人のやり方というものでしょう。

 

海外に目を転じてみても、マイケルジャクソンやプリンスもレコードレーベルとの確執に悩んでいた時期もあったようですし、クイーンの場合もフレディマーキュリーがレコードレーベルとの契約で悩んできる様子が「ボヘミアンラプソディ」の中で描かれていました。しかしながら、この3人ともCDの作成やアーティスト活動に大きな支障が出た事実はなく、レコードレーベルによる「縛り」はさほど強くはなさそうです。

 

この国には、いろいろな職種で「お礼奉公」が存在しています。しかしながら、そのような「縛り」をなくすような努力を、社会全体で取り組む必要があると、私は思います。

 

 

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平成最後の年末に想うこと

何を言うにも『平成最後の』になってしまう今日この頃、来年5月に予定されている新しい天皇の即位の礼までこの状況が続くのでしょうか。時代の移り変わりには、期待と追憶が入り混じった気分が続きます。

 

時代が移り変わっても遺したいものもあれば、早急に変えてしまいたいものもあります。古き良き時代の習慣を、伝統としてそのまま残すのか、現状に適合するように変革していくかは、いつの時代でも選択の難しい問題であると思います。

 

2020年開催の東京オリンピックも、2025年開催の大阪万博も、どちらも昭和の時代に日本で初めて開催されて、2度目の開催になります。1度目の経験と手法のどこを生かして、新しい手法や技術をどう取り入れるのかが、気になるところです。

 

前回の東京オリンピックでは、衛星放送やカラー放送の新技術が世界的に発信されました。今回は、4K・8K放送が世界デビューされることになりそうです。昭和の大阪万博では、アメリカ館とソ連館が超人気館でした。今度の大阪万博は、アメリカ館と中国館の組み合わせがそれに代わるのでしょうか。

 

時代が移り変わっても、変わらない形態もあります。例えば、四国八十八箇所巡礼のお遍路さんです。廻り方については、歩きの人もいれば、様々な種類のバスツアーの人も、タクシーや車を利用する人もいて、バラエティに富んでいます。しかしながら、金剛杖や菅笠といった装束は、ほとんどの人が古式ゆかしく楽しんでいます。

 

これに対して、時代が変わって変革してしまったものも多数あります。伊勢参りや富士登山がそれにあたると思います。どちらも江戸時代に流行った”講”や装束の伝統はまったく残っておらず、その工程も”全てを歩き”で楽しむ人など、ほとんど皆無です。

 

どちらにしても、その時代に合わせて人それぞれに思う存分イベントを楽しめれば良いのではないでしょうか。新しい年や新しい時代をどのように楽しんでいくかなど、いろいろ考えながら、明日からの大晦日や年越しを迎えようかと考えています。

 

 

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大阪万博2025と大阪万博1970とをつなげるモノをつくってみたい

55年の時を挟んで、大阪で2度目の万国博覧会が開催されます。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」であり、前回のテーマは「人類の進歩と調和」でした。どちらも人類の将来を前向きに捉えるスローガンとなっています。

 

1970年当時、”中人”チケットで何度も会場に通っていた私は、時を隔てた二つの万博を連続性を持ったものとして表現できたら面白いと、考えています。あの時の熱気や活気を今度の万博で再現できれば、人々が今よりもっと元気になるように思うからです。

 

 

例えば、前回の展示物が現在ではどのように進化しているか、というようなものはどうでしょう。ワイヤレステレフォンからスマホに、人間洗濯機から介護用バスに、電気自動車からエコカーに、自動演奏からAI作曲に、等々。進化展示品は、かなりの数になりそうで楽しみです。

 

前回の会場と今回の会場とを実際につなぐものを作っても良いと思います。例えば、前回の会場跡のシンボルである太陽の塔は、大阪城の方角を向いて建てられているようです。それならば、新しい会場にも大阪城と繋がるシンボルを作ってみるのはどうでしょうか。

 

会場が人工島なので、灯台のようなモニュメントを建てるのも良いかもしれません。あるいは、会場内を横断する巨大な直線道路を作って、夜間には大阪城まで続く光の帯のように見える演出を施せば、かなりインスタ映えしそうですし、人気も出そうです。

 

寿命や長生きをテーマとするのですから、55年の時を経た人間を活用する手もあるでしょう。例えば、ボランティアサポーターとして、私たちのような前回の万博を経験している世代に、会場だけでなく関西一円でさまざまな案内役をさせるのです。

 

万博に来ている人の道案内はもちろんですが、関西のそれぞれの地域が55年の間にどのような変化を遂げたのか、これからもどのように変化していくのか、それぞれの地域に現在住んでいる人との交流についても積極的に行うのです。

 

万博会場を中心として、関西全体をコミュニケーションあふれる街につくり変えるような取り組みを行う。これこそが、万博によって「いのち輝く未来社会」を創り出す実践になるのではないかと、私は考えます。

 

大阪万博1970当時の熱気や活気を今度の万博でも再現できれば、関西だけとは言わずに日本全体で人と人とが手助けしあう世の中を創り出すことができれば、かがやく未来がすぐそこに来るように、私には思えます。『大阪万博2025』、とても楽しみです。