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神戸市立小学校の教師いじめ事件に解決策はあるのでしょうか。

神戸市立小学校の教師いじめ事件の加害教師4名は、既にネット上では実名も顔写真も明らかにされており、警察に被害届も提出されています。警察による取り調べが始まるのも時間の問題なのでしょう。

 

いじめは、あるいはハラスメントなどと言い換えても、紛れもなく犯罪です。嫌がる人間を羽交い締めしてカレーを目や口に塗り付ける行為は、おそらく暴行罪に当てはまると思われます。

 

それに、他人の自動車の屋根に登ったり、シートにわざと飲み物をこぼすなどは、器物破損罪そのものでしょう。児童に「クラスつぶしたれ」などと名指しで脅して授業妨害するのは、信用毀損罪・業務妨害罪に相当すると思われますし、何よりも教育を受ける権利を持つ児童に対する強要罪が妥当と言えるのではないでしょうか。

 

また、校長から後輩教師の指導をする立場を与えられ、その上「かわいがっていた」と言いながら、校長に隠れて数々のいじめや嫌がらせ、ハラスメント行為を繰り返していたのであれば、それは正に詐欺行為と言えるのではないのでしょうか。

 

この事件では、校長がお気に入りの教師を引き抜く『神戸方式』という慣習も話題になっています。しかしながら、この事件で実際に行われた暴行の数々を見ると、『神戸方式』というのは、とんでもなく無知で無能な厄介者の教師の世話を、身内や先輩などから託された校長が、自身の責任において面倒を見るという、最悪の慣習のようにも思えてきます。

 

この事件では、小学校に通う児童が一番の被害者です。「クラスつぶしたれ」などと暴言を浴びて、教師間いじめのとばっちりを食わされただけでなく、最近2年間で児童のいじめ件数も増えたというのです。

 

パワハラの前校長や無能な暴力教師が4人もいるようなこの小学校では、たとえいじめがあったとしても、以前は、「いじめられてないよな」の一言で片付けられていたのではないでしょうか。最近の2年間で児童のいじめ件数が増えたというのは、とても隠しようのないとんでもないいじめが横行し始めたのだと捉えることもできます。

 

児童の学校生活を守るために、PTAを活用できないでしょうか。

 

PTAといえば役員選出が大変だったり、保護者の社交場のように変化している事例もあったりしているらしいですが、元々は、保護者と教師との評議会です。何か問題があったら行われる保護者への学校説明会というイメージがしっくりします。もちろん、その活動目的は、児童の学校生活を守ることです。

 

しかしながら、組織を持つ教師と自由参加の保護者とでは平等な力関係にはなりませんので、保護者側のまとめ役として行政の代表者を任命します。行政の代表者は役所の職員や警察署員、場合によっては児童相談所の職員や議会の推薦を受けた地方議員でも良いでしょう。何か問題が生じたときには、行政の代表者は保護者の立場を代表して問題解決のためのチームを組織し、児童の学校生活を守ります。

 

教師側の分が悪いようにも見えますが、問題は、この小学校のような教師間の暴行事件だけではありません。児童間のいじめ問題もあるでしょうし、モンスターペアレンツ問題も、このあたらしいPTAで評議されます。すべては、児童の学校生活を守るためです。

 

いじめは犯罪です。つまりは加害者が排除されるか反省を踏まえて改心しなければ、いじめはなくなりません。児童間のいじめはもちろん、教師間のいじめ、保護者と教師との間のいじめ、保護者間のいじめも、児童の学校生活を脅かします。

 

児童や学生の期間に、これだけのいじめやハラスメントに対する取り組みに囲まれていたら、現代社会に満ち溢れる数々のハラスメントも、そのうちには少しはマシになるのではないでしょうか。

 

『神戸方式』は、2021年春から廃止されるそうです。あたらしいPTAのような取り組みによって、児童の学校生活を完全に守る『あたらしい神戸方式』が生まれる社会になるといいですね。

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「老後資金2000万円」問題で大臣降ろししか思いつかない国会議員なら、定員削減すれば良いとは思いませんか。

財務兼金融大臣の問責決議案などを否決された国会は、週明けにも総理大臣の問責決議案などを採決するそうです。国会では、なぜ何の役にも立ちそうにないことばかり行うのでしょう。「国民の生活を守る」のが国会議員の仕事だとは考えないのでしょうか。

 

政権にとって不都合な報告書であるなら、それを受け取らないという選択は、そんなにも悪いことなのでしょうか。

 

もし万一、今回問責決議案を提出された国会議員の皆さんが政権を担当された場合に、諮問機関からの報告書に「この政策を推進するには、憲法を修正する必要がある」と記載されていたとしたら、自らの『憲法を守る』政策を直ちに放棄できるだけの覚悟をお持ちなのでしょうか。

 

まさか「そんな報告書ができあがってきたら、発表せずに握りつぶせば良い」などと、お考えではないとは思います。現政府は、一度は公表したのですから、発表せずに握りつぶすよりは、はるかにマシな態度と言えるのではないでしょうか。

 

それに、この報告書の試算は『2000万円を目標とする投資行動』を推進させるという金融庁の狙いを優先させた、こじつけのようにも思えます。なぜなら、報告書内に掲載されている下記グラフに表された実収入の「不足額5万4千円程度」という金額は、実支出の「その他の消費支出54,028円」に、ほぼ相当するからです。

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金融庁報告書の試算グラフ

家計の内訳で「その他の消費支出」というのは、要するに「お小遣い」です。つまりは政府が説明しているように、生活に少しのゆとり〔すなわちお小遣い〕を持つためには、月々5万円を超える蓄えが必要であるということだと、私は思うのです。担当大臣が何度も繰り返すように、「世間に著しい不安と誤解を与えた」報告書だったのです。

 

そうであるなら、参議院議員選挙を控えた野党の国会議員の皆さんが行うべきことは、大臣を問責することではなく、一日でも早く「国民の生活を守る」政策やマニュフェストをまとめ上げて公表することです。

 

2人以上の全世帯に5万4千円の給付ができれば、今回の報告書の問題は解決します。それだけでなく若い世代も、結婚するだけで世帯ごとに毎月5万4千円が給付されるなら、今より若くして結婚する人たちも少しは増えるかもしれません。

 

そうなると、働き方改革も子ども給付も、共に継続させていれば、出生率も上昇するかもしれません。人口が増える程度まで出生率が上昇すれば、年金制度も破綻することなく、いつまでも継続できるようになるのかもしれません。良いことづくめです。

 

どうしたら、2人以上の全世帯に5万4千円の給付を実現できるでしょうか。それを考え出すのが、国会議員の役割です。与党も野党も関係なく、国民を守るために必死になって知恵を絞ってください。よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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元農水次官が言う「川崎殺傷事件を知り、長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」のは本当なのだろうか。

高齢者による事故や事件が続いています。元農水次官が起こした事件は、長男を包丁でメッタ刺しにして殺害したというものです。この元農水次官は、長男から日常的に暴力を受けていたという点で、同情の余地ありという意見もあるようです。

 

この長男は、隣の小学校の運動会の音がうるさいと腹を立て、元農水次官と口論になったらしいです。この元農水次官は「川崎殺傷事件を知り、長男も人に危害を加えるかもしれないと思った」ために、長男を殺すしかないと思ったということです。

 

この長男は、川崎殺傷事件の容疑者のように、事前に包丁を準備していたのでしょうか。それとも従来から、隣の小学校との間でトラブルを繰り返していて、生徒に危害を与えるような兆候でもあったのでしょうか。今のところ、そのような報道は全くなされていません。

 

もしも仮に、たとえ長男が包丁を何本も購入していたり、長男と小学校との関係がそのような切迫した状況であったとしても、親が最初に行うべきことは、包丁で長男をメッタ刺しにすることではないように思います。

 

普通の親なら、まずは長男から包丁を取り上げたり、隠したり、捨てたりしようとするのではないでしょうか。

 

親の身勝手な感情だけで、子どもを死に至らしめたという点で、この元農水次官の起こした事件は、野田小4女児虐待事件や札幌2歳女児衰弱死事件と、さほど変わりがないように思えて仕方ありません。

 

子どもの年齢も、暴力の状況も、何もかも異なるではないかと言われるかもしれませんが、経済的に圧倒的に有利な親が、子どもの意思を確かめることもなく、子どもに一方的な鉄槌を食らわせることができたという点で、状況が似ているように思うのです。

 

もちろん、詳しい状況が明らかにならないと、何も断定はできないとは思います。しかしながら、長男が他人に危害を加えるかもしれないという客観的な証拠が見つからない場合には、加害者の供述だけによって、加害者に有利な判断がなされないようにしていただきたいものです。

 

 

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池袋暴走事故の元院長、あらぬ方向に向かっているのではないでしょうね。

池袋で暴走事故を起こした元院長が、退院後も逮捕される様子がないので、メディアが再び取り上げています。任意聴取の際の変装には、自動車メーカー前会長の保釈シーンと重なるような印象を受けました。

 

しかしながら、前会長の方は、いきなり逮捕された上に、なかなか認められなかった後での保釈だったことを考えると、元院長は逮捕されないだけでも、かなりラッキーな状況にあると言えるでしょう。

 

一部メディアで既に指摘されているように、事故以前から杖を使用しなければ移動することもできなかったのであれば、元院長は、なぜ乗用車を運転する気になったのでしょうか。家族は、なぜ、運転を止めるように必死になって説得しなかったのでしょうか。

 

千葉の女児虐待死事件のように、元院長の配偶者なども、ほう助の疑いで逮捕されることも、場合によっては現実になってくるのでしょう。

 

元院長が逮捕されるかどうかも気がかりですが、元院長自身が、被害にあった関係者にお詫びの手紙を送っていることには、もっと驚きました。いつの間にか、事故の加害者が、被害者の住所を入手しているのです。お詫びの手紙の中に「事故により負傷された方々のお名前が、つい先頃まで私どもには知らされなかったため」と記載していることから、誰かから教えてもらったと推測できます。

 

捜査関係者やメディアの方々が被害者の個人情報すなわち氏名や住所を教えたのであれば、これもまた、千葉の女児虐待事件のように、加害者である父親に、女児が書いたアンケート結果のコピーを渡した行為と匹敵する、激しく憎むべき行為です。

 

私の勝手な推測ですが、ひょっとしたら元院長は、被害者全員から示談を得ることによって、自らの起訴を免れようと画策しているのではないのでしょうか。工業技術院という機関の院長に就き、瑞宝章を叙勲されたプライドを保つことに汲々としているのではないのでしょうか。そんな魂胆なら、警察はすぐにでも元院長を逮捕しなければなりませんね。

 

この元院長は、工業技術院で、世界に通用する実用的な『硬さの基準』を開発してきたらしいです。本当にそのような立派な工学技術者であったのなら、元院長がすべきことは、これまでのコネを総動員して不起訴を勝ち取ることではありません。

 

これまでの同志を集結させ、必要なときは我が身を実験台に差し出してでも、『子どもや子ども連れの人々を死傷させない社会システム』あるいは『運転免許証返納の基準』を開発することに他なりません。

 

変装などでコソコソとごまかそうとせず、会見を開いて堂々と自身の考えを表明することによって、たとえ実刑を受けることになったとしても、これまでの人生と同じように社会に貢献し続けることが許されるようになると、考え直していただきたいものです。

 

 

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大阪都構想を批判する人たちへ

大阪ダブル選挙を行うことになった原因は、特別区の設置に関する法定協議会の代表者会議が、その役割を果たせなくなったためのようです。

 

この法定協議会の目的は、大阪府のホームページによると、大阪にふさわしい新たな大都市制度の具体的な制度設計を行うことらしいです。

 

このような評議会や代表者会議の進め方がどのようになされるのかを詳しく知っているわけではありませんが、法定協議会の目的がそのようなことであるとしたら、ここにも”二重行政”が生きていたのかという気持ちになります。

 

なぜなら、制度設計を決定するのは各々の自治体議会もしくは住民投票であるべきでしょうし、協議会でどの案にするかを選ぶのならば、制度設計を2度、決定していることになるようにも思ってしまうからです。

 

協議会では、できれば複数の具体的な制度設計を提案することに留めるのが良いと思います。そして、他の代表者の反対ばかりして、新たな都市制度の設計を何も提案できない代表者は、出席を遠慮してもらうようにすれば良いとも思います。

 

なぜなら、協議会に参加する前提条件は、「大阪にふさわしい新たな大都市制度を具体的に制度設計すること」だからです。

 

この評議会は、ユーチューブで生中継されているそうです。でも、ほとんど知られていませんよね。地上波テレビなどにスポットCMを流して、評議会の開催日と視聴方法を告知すれば良いのではないでしょうか。そうすれば、出席する代表者が見苦しい意見を声高に叫ぶことも、少しは少なくなるように考えますし、そういう告知こそが充分な住民サービスであるように思います。

 

このような特別区の設置に関する協議会があるにもかかわらず、いつまで経っても何の制度設計の議論も行わない各々の議会の人たちは、思いっきりサボっているだけのように思えますが、いかが思われているのでしょうか。

 

 

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大阪都構想を批判する人たちに

大阪府知事選挙の告示に続いて、大阪市長選挙も告示されました。これによって本日から大阪ダブル選挙が本格的にスタートしました。このブログの過去の記事では、大阪ダブル選挙を仕掛けた側の立場で、大阪ダブル選挙を紹介してきました。

 

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今回は、大阪都構想を批判する人々の考え方に寄り添う立場で、大阪を発展させる対案を考えることによって、このブログの公正を期したいと思います。

 

大阪都構想を批判する人々の言い分は、「大阪都構想しなくても、G20や万博を大阪に誘致できた」であるとか「わざわざ東京のマネをしなくても良い」というものです。

 

大阪都構想を掲げて2011年11月に最初の大阪ダブル選挙が行われた直接の原因は元々、大阪市と大阪府の水道事業の統合が議会で否決されてしまったためです。

 

地域の基幹インフラである水道事業の統合は、小規模な自治体の経費を削減できたり、大災害が起こっても柔軟に対応できるため、既に原案がまとめられていました。その年の3月に起こった東日本大震災の教訓もあり、事業統合の実現を目指していたにもかかわらず、大阪市と大阪府との考え方の違いによって、暗礁に乗り上げてしまったのです。

 

現在は、大阪府知事と大阪市長とが互いに協力しあっているので、ようやく2017年以降、大阪の水道事業は、民営の事業団による広域化を押し進めているようです。他にも、水道事業と共に当時から問題となっていた大阪市営地下鉄の民営化が実現したり、G20や万博の誘致に成功したり、そしてIRの誘致活動にしても、大阪市長と大阪府知事とが協力して、互いにそれぞれの自治体の考え方を調整することによって、前向きに進んできたことには間違いなさそうです。

 

大阪都構想の”都”についても、なにも東京のマネをしようというのではなく、現状の大阪市の行政区を、地方自治法に規定されている”特別区”に格上げするために必要なようです。地方自治法に、”特別区”=”都の区”と規定されているから”大阪都”と名付ける必要があるのだそうです。政治家の方々にとっては、このようなことは当然ご存知のことだと思いますので、私たち有権者には正しく説明してもらいたいものです。

 

どちらにしても、大阪都構想に対抗して大阪を発展させるためには、大阪府知事と大阪市長とが二人いても、互いに協力する仕組みを作るのが必須のようです。大阪都構想さえ議題に挙げなければ、たとえ与党単独で過半数の議員がいなくても、仲良しの知事と市長とが互いに協力するだけで、大阪全体の発展は進んできているようですので。

 

具体的な対案としては、知事と市長が同じ考え方で協力しあったら、年間5億円のボーナスをそれぞれに渡すというのはどうでしょう。大阪府が大阪市長に5億円、大阪市が大阪府知事に5億円、それぞれ府市協力コンサルタント料として支払うのです。

 

過去には、府市が競いあって合計2000億円を超える高層ビル建設事業を行っていたようですので、年間5億円くらいは無駄遣いをなくせば、充分に元は取れると思われます。その上、関西の近年のインバウンド効果は8000億円にもなるという調査結果もあるようですので、1人あたり5億円のコンサルタント料くらいは、見方によっては安すぎるとも思えます。

 

堺市の市長にも参加してもらって、3人が協力し合ったら、互いに一人当たり5億円ずつ府市協力コンサルタント料を支払うことにしても良いでしょう。つまりは、互いの府市がそれぞれ5億円、合計10億円ずつを、知事と各市長に支払うことになりますが、大阪全体がさらに繁栄するなら、それも良いのではないかと思います。

 

関西復権を、東京のマネをせずに実現しようとしたら、ある意味このくらいの「えげつなさ」は必要だと思います。それに、高額のコンサルタント料を首長に支払うという奇抜さは、「なにわのあきんど」としてのたくましい商魂も感じられて、大阪都構想よりは受け入れられやすいのではないかとも、私は考えます。

 

 

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大阪のダブル選挙を批判する人たちへ

大阪府知事と大阪市長のダブル選挙は、大阪都構想反対派の立候補予定者も揃ったことで、事実上スタートしたようです。

 

反対派の人たちの言い分は、大阪都構想をいったん終了しようというものです。率直な感想としては、これら反対派の人たちは、大阪都構想の住民投票が再び行われたら、大阪都構想が実現すると考えているように、私には思われます。だからこそ、大阪を発展させるための代案を持たないのでしょう。

 

これに対して、大阪都構想を推進しようとしている現在の大阪府知事と大阪市長は、大阪都構想が住民により否決された場合の代案をも同時に持っています。大阪市だけでなく、大阪府を含めた地域の発展を、どうしても実現したいからです。心から大阪の発展を望んでいる人たちなのです。

 

明治22年、つまり130年前に大阪市はできあがりました。現在の大阪環状線に囲まれた領域だったようです。明治30年と大正14年、昭和30年に市域拡張を行い、発展を続けたそうです。言い換えれば、大阪市は最初の65年に大きく発展し、残りの65年は何の発展も行われていないと、言うことができます。

 

一方、大阪府は昭和45年に大阪万博を成功させ大阪北部にニュータウンを造り、平成5年に関西国際空港を開港させて大阪南部を再開発してきました。

 

大阪府知事と大阪市長が互いに協力することで、G20サミットやIR、2度目の万博など、今後の発展に繋がるイベントが次々と実現しそうです。狭い割に人口の多い大阪市だけでは、もはやどんな発展も見込むことが難しくなっているのです。

 

大阪都構想は、大阪市を複数の特別区に格上げすることにより、住民への行政サービスが行き届いた行政機構を構築しようというものです。そして、最初の住民投票を行ったときの大阪都構想は、特別区に隣接する自治体も住民投票による特別区への格上げが可能であるというものでした。つまり大阪都構想は、次々と発展し続ける地域と行政機構を創生する、大改革なのです。

 

すなわち、この春の大阪のダブル選挙は、現状の行政機構、つまり自治体ごとの利権をなんとしても守ろうとする大阪都構想反対派の人たちにとっては、代案など考えもつかない最後の戦いなのだと、私には思えるのです。

 

 

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監視社会と長編SF小説「声の網」

1970年に発表された星新一の「声の網」という長編SF小説があります。電話網を管理するコンピュータが人々を「監視」しながら、試行錯誤を繰り返して世の中を支配していく物語です。
 
その物語の中で、コンピュータは、人の秘密を盗聴したり、盗聴した情報をネタに悪事を働かせたり、わざわざ事件を予告して未然に防がせたり、ひとりひとりがどんな反応をするか、静かに観察を続けていきます。そして、ある夏の日、コンピュータは故意に情報操作を重ねて、一日がかりで住民全体をパニックにおとしいれます。
 
12編の短編小説によって構成されるこの小説は、現在では、インターネット社会を予見した小説とみなされているようで、私自身も何年か前まではそのように受け止めていました。技術の発達によって情報が行き交うスピードが上がりすぎると、予測できない現象が起こると警告している物語だという具合に考えていました。
 
ところが現在、この小説が伝えようとしているのはそんなことではないと思うようになりました。この小説の最後には、コンピュータに支配されていながら、平穏に日々を暮らす人々の様子が描かれています。まだ若い頃にこの物語を読んだ私は、何かはぐらかされたような気持ちを長い間引きずっていました。
 
現代の民主主義は、透明性の確保と多様性の容認が欠かせないと思います。説明責任があるとか、少数意見にも耳を傾ける、といったことです。ところが、この小説が発表された1970年当時は、密室政治だとか、万年野党だとか、民主主義でありながら前例を重んじる悪しき慣習が数知れず残っていた時代でした。
 
星新一は、そんな未熟な民主主義に憤りを感じて、公平なコンピュータに生活を支配されるほうが、少しはマシな世の中になると言いたかったのかも知れません。または、世の中をわずかでも成熟させていくには、軋轢を何度も乗り越える覚悟が必要になることを伝えておきたくて、ひとまとまりの物語にして遺したのかも知れません。
 
「声の網」が出版されて50年近くも経っているのに、この国は残念ながらまだまだ未熟なままであるように、私は思います。
 
監視カメラや防犯カメラのおかげで、事件や事故の詳細な記録が残りやすくなりました。もちろん、その運用を間違うと、プライバシーの侵害となることはいうまでもありません。
 
一方、社会全体として「権力の監視」も当然必要でしょうが、権力に反対するだけでは何も良くなりません。堂々と代案を提案して議論を重ねることによって、より良い社会に変わっていくのではないでしょうか。
 
人の意見を攻撃するばかりでなく、少しでも状況が良くなるように、ひとりひとりが代替案を考え、努力し続けることが、世の中を成熟させるのに欠かせないと考えます。
 
そうでなければ「声の網」のように、盗聴やカメラによる監視によって、AIに全てを任せてしまう公平な社会のほうが、いつまでも幸せに暮らせるのではないかと思ってしまいます。
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大阪のダブル選挙を批判する人たち

大阪府知事と大阪市長がそろって辞任届けを提出したことにより、ダブル選挙が実現するそうです。『大阪都構想実現』を前面に押し出したために、批判する人たちが続出しているように思われます。

 

大阪都構想は元々、大阪市が肥大化したために低下した住民サービスを、せめて大阪府レベルまで引き上げよう、というものであったように思います。

 

例をあげれば、大阪市の児童相談所の数は2つで、これは人口比率で言うと全国レベルを達成している大阪府の半分しかないそうです。つまりは、大阪市を4つか5つの地方自治体に分割すれば、児童相談所が各々1つずつ設置できるので、全国レベルを達成できるのだそうです。

 

今回のダブル選挙を批判する人たちは、この地域の事情をまるで省みることなしに、特定の政党批判を繰り広げているだけのように思います。おそらくは、それぞれの党利党略など忘れ去って、ダブル選挙つぶしの統一候補者を選び出してくるのでしょう。

 

その地方にいる住民が困ることになっても、中央にいる自分たちのプライドが保たれれば良いとでも考えているのでしょう。いちいちしゃしゃり出てきて、地方の邪魔をしてもらいたくは、ないのですけれどね。

 

今回のダブル選挙は、地域住民が自らの行政サービスのゆくえを選ぶ選挙であるべきです。つまりは地方創生の大切な選挙なのです。それを国会議員であるとか全国紙や週刊誌など住民でない人々に揶揄されたり批判されるいわれなど、全くないはずです。

 

地方都市が生き残りをかけて必死に模索している自治活動を、中央からつぶされるのは見ていて気持ちのいいものではありません。泉佐野市のふるさと納税のように、大阪都構想も極端な自治活動と思われがちかもしれませんが、その自治体の住民サービスを守るために、各自治体で必死に知恵を出しているのではないのでしょうか。

 

大阪は近年、観光名所を整備して、インバウンド効果も絶大で、V20も開催しますし、万博誘致にも成功して、勢いに溢れ始めています。この勢いを制度化して住民サービスを向上させるための方策を具体的に提案してくれる首長や議会を、この春のダブル選挙、つまり統一地方選挙で選びたいものです。

 

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小4女児死亡事件後の全国緊急点検とは

虐待防止で保育園・幼稚園・小中学校の全国緊急点検を行うようです。文部科学省と厚生労働省との合同作業チームも立ち上げるそうです。

 

テレビなどで報道された、このニュースを見る限り、関係官庁は文部科学省と厚生労働省だけが取り組むようですが、それだけでは長期欠席者と「面会」など実現できるとは思えません。その上、この種の問題は「面会」によって何かが解決するとも思えません。

 

この度の全国緊急点検の結果、虐待やDVの問題が「ただの」数値化されるだけに終わり、虐待やDVの問題への取り組みそのものが数値目標化されることによって、まるで解決したかのように捉えられてしまうのではないかと、私は危惧します。

 

「面会」が必須であるなら、せめて、各都道府県警察に協力を求めないと効力は限定的でしょうし、もしも本人が転校させられていたら地方自治体間の連携が不可欠になるでしょうし、この事件によって自らの子育てに自信を失ってしまった人々へのケアを行う事業なども早急に起こす必要性も日々増してきているように感じます。

 

虐待やDVは、家庭内のハラスメント問題です。家庭というのは社会の最小単位です。家庭の問題は社会の問題に直結していると、私は思います。だから、事態はこの国の将来に関わる、きわめて深刻な問題なのです。

 

野田市における死亡事件が、人が死亡して両親が逮捕されただけのことであったとしたら、ここまで問題にされることはなかったと思えることが、現在の社会のひずみを最も顕している点ではないかと考えます。

 

家庭内で死亡事件が発生すること自体が、問題なのです。

 

虐待を含めたハラスメント問題は、原則として、個別の問題として取り組まない限り解決策すら見出すことができないくらい、対応が難しいものだと思います。問題ごとに連携する組織が異なる事例も多いのではないでしょうか。もちろん、ほとんどの場合、医師やカウンセラーとの連携が必要になることは火を見るよりも明らかです。

 

政府全体が地方自治体を巻き込んで、虐待やDVに関する事業そのものを総点検して見直しをかけることが必須です。

 

内閣総理大臣と総務大臣が中心になって、現在取り組んでいる少子化対策や地方創生、教育再生、働き方改革、一億総活躍、女性活躍、男女共同参画など、家庭問題や社会参画に関わる多岐にわたる事業の全てを統括する担当部署を作り、政府として真摯に取り組むべき問題であると、私は考えます。

 

人が良くサービス精神旺盛の大臣の失言を必要以上に責めたり、総理大臣が身内の宴会で放った文言を国会で蒸し返すような暇がおありなら、国会議員の皆さんもそんな他愛もないことに貴重な時間を費やさずに、この種の問題に超党派で死に物狂いに立ち向かっていくことこそが、国民に選ばれた者としての期待される行動なのではないでしょうか。