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あまりにも痛ましい小4女児死亡事件

野田市で小4女児が死亡した事件が連日、テレビなどで報道されています。毎日のように新事実が加わるごとに、死亡した女児の置かれた環境があまりにも痛ましいことに激しい衝撃を受けています。

 

学校、教育委員会、児童相談所それに母親までが父親の思惑通りに行動してしまっています。つまりは社会全体がこの女児を見放して、父親の手の内に送り込んでしまったのです。女児は最後に自分の意思で、父親への抵抗を止め、呼吸することすら諦めてしまったのかもしれません。あまりにもむごい状況に言葉が見つかりません。

 

間違いなく、職場などでのストレスを家庭内で晴らそうとする身勝手な父親の責任なのでしょうが、この家族がそのような状況に陥っている点を見逃し続けた社会というものも普通ではないと、私は思います。

 

この事件に関わる報道は、児童相談所や教育委員会の対応にフォーカスを当て続けていますが、ことの発端は父親の母親に対するDV、つまり暴力です。テレビなどの報道を見ていると、この家族が沖縄で暮らしている頃から母親への暴力は始まっていたらしいからです。

 

改めて言うまでもなく、暴力は犯罪です。虐待だけでなくいじめやハラスメントも、その本質は暴力事件です。当然、言葉の暴力も含まれます。私たちは、これらの暴力に敏感であり続けなければなりません。

 

全ての行政機関や住民が、わずかでも不審に思ったり、事件性を感じた暴力には、警察に通報することを自ら義務づけ、その行動を人にも奨励することが、この社会に参加しているものの最低限のマナーではないでしょうか。

 

拾った財布や落し物は警察に届けるような良い習慣を持った社会なのですから、ご近所や身の周りのことに少しばかりお節介なことをしても良いのではないでしょうか。万が一、通報したことによって報復を受けるのであれば、そのような報復を断じて許さない法律を国会で作れば良いではありませんか。

 

 

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自由な生活をするために2年の期間が必要なのか

ジャニーズの超人気グループが来年の年末に活動休止するそうです。リーダーが「自由に生活をしてみたい」というのが、活動休止に至った理由であるらしいです。職業選択の自由が認められているこの国で、アイドル活動を休止するために、なぜ2年もの長い期間が必要なのでしょうか。

 

これまでにも、1年の期間をかけて引退した歌姫や、グループ解散から10ヵ月経ってから新しい事務所に移った国民的アイドルもいました。このような「お礼奉公」は本当に必要なのでしょうか。

 

少し調べてみると、アイドルや歌手の場合、芸能事務所とレコードレーベルの2社にそれぞれ所属するらしいです。片方でマネジメントしてもらい、もう片方でCDを作ってもらうようです。ただの推測にすぎませんが、事務所にもレコードレーベルにも、双方の顔を立てるためには、1年や2年ぐらいの期間の「お礼奉公」が必要なのかもしれません。

 

しかしながら、「自由に生活してみたい」リーダーは、なかなかの才能がある芸術家の一面を持っており、おそらくはその才能を伸ばすために、ここ数年はソロの芸能活動を控えていたようです。

 

それが本当ならば、アラフォーになって芸術家の道を拓こうとするリーダーに対して「2年間の縛り」を課した事務所やレコードレーベルは、かなり無慈悲なことを押しつけているように思われます。やりたいことを持っているリーダーに、「お礼奉公」などさせることなく、まずは自由に好きなことを始められるように考えてやるのが大人のやり方というものでしょう。

 

海外に目を転じてみても、マイケルジャクソンやプリンスもレコードレーベルとの確執に悩んでいた時期もあったようですし、クイーンの場合もフレディマーキュリーがレコードレーベルとの契約で悩んできる様子が「ボヘミアンラプソディ」の中で描かれていました。しかしながら、この3人ともCDの作成やアーティスト活動に大きな支障が出た事実はなく、レコードレーベルによる「縛り」はさほど強くはなさそうです。

 

この国には、いろいろな職種で「お礼奉公」が存在しています。しかしながら、そのような「縛り」をなくすような努力を、社会全体で取り組む必要があると、私は思います。

 

 

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スマホはどんなカタチに進化するのでしょう

2007年に発表・発売されたiPhoneに続いて、携帯電話は一気にスマートフォンに変化して行きました。その後、iPhoneも含めて画面は大きく写真は美しく変化しましたが、最初に比べて大型化したために、片手で画面全体を操作するのが難しくなってしまいました。

 

スマホは、このあと、どんなカタチに進化するのでしょうか。

 

既に、bluetoothによって時計やイヤホンと連動していますので、そのうちにスカウター型のヘッドマウントディスプレイが普及すれば、スマホの本体機能は、時計かイヤホンかスカウターのどれかに取って代わられてしまうかもしれません。つまり、現在のスマホ本体はなくなってしまうのでしょう。

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スカウター型のヘッドマウントディスプレイ

 

もしかすると、テーマパークでよく見かける『耳付きキャップ』にスカウターをとりつけたようなカタチに変化するかもしれません。

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耳付きキャップの例

 

あるいは、AIを使ったロボット技術が向上して、スマホがドラえもんや鉄腕アトムのような友達兼ボディガードのように変化するかもしれません。一緒にいるだけでなく、ピカチュウのように肩に乗せるタイプも生まれてくるかもしれません。

 

そんなことになっても、現在のスマホを使い続ける人も少なからず存在して、『板チョコかじってる』なんて言われるのかも知れませんね。

 

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インターネットを住民のための基幹インフラとして整備してほしい

大阪市長が幹部職員への年頭挨拶を放送で行ったらしいです。従来は、区役所勤務の幹部職員まで市役所に集めて行っていたようなので、かなり良い改革になったものと考えます。

 

残念だと思う点は、20年以上も前に阪神淡路大震災を経験した自治体でありながら、昔ながらの優雅な年賀式の形態を維持したままだったことです。幹部職員が一同に集まったときに大災害が発生したら、幹部職員が各地域に戻るまで、誰が区役所の指揮を執るのでしょう。

 

幹部職員が各地の区役所に戻れる手段が100パーセント確保されているわけでもないのに、あまりにも無謀な悪習が続いていたと言わざるを得ません。まさか『正月明けに地震なんて起こらないだろう』なんてことを考えているとは思わないですけど…。

 

1995年の大震災発生時には、まだインターネットの普及が始まったばかりだったものの、阪神淡路大震災によって、電話回線を補完する通信網としてインターネットが役立つことが証明されているのに、幹部職員がのこのこ市役所に集結するなんて、なんて優雅な儀式を続けてきたのでしょう。

 

その後2011年の東日本大震災でも2016年の熊本地震でも、繋がらない電話の代わりにSNSが安否確認に有効利用されたことも知っているはずなのに、ひょっとしたら大阪市では緊急地震速報を携帯電話やスマホに流したり、避難所をどう設置するかというようなことしか、災害に対する備えを検討していないのでしょうか。

 

大災害が起こったあとで、市役所と各地の区役所とが必ず連絡できるような強靭な通信網を整備しておくことも、災害に対する重要な備えの一つであるはずです。そのような備えを推進していれば、もっと早い時期に、その強靭な通信網のテストとして、市長の年頭挨拶などを放送でやってみようという発想が出るのはごく自然なことと思います。

 

そのような強靭な通信網が整備されれば、幹部職員だけを対象に市長が年頭挨拶を行うのではなく、各職場の全てのパソコンを使って職員全員に年頭挨拶を行えるようにもなるでしょう。それが災害時の予行演習を兼ねているなら、誰からも非難されるようなことはないものと思うのですが、どうでしょう。

 

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SNSの原点と言えるかもしれない大切なこと

携帯電話もテレホンカードさえもなかった45年ほど前、通っていた学校の私のクラスには、授業中に回し読みされるノートがありました。そのノートは、夕方になるとクラスの誰かがそっと持ち帰り、次の朝になると決められた場所に戻っていました。

 

そのノートには、オリジナルの詩や短い小説、4コマ漫画、好きなバンドの逸話、兄弟げんかとその顛末、恋の悩みに、カップラーメンの食べ較べまで、さまざまなコンテンツが書き込まれていました。

 

今にして思えば、あまりにもアナログな形態ですけれども、これってSNSの投稿と言えなくもないですよね。前日書き込まれた内容に、補足してくる人や別の見方を書き込む人もいて、休み時間にバズってしまう週なんかもあったように覚えています。

 

たまに他所のクラスの人がノートの書き込みに乱入することもありましたが、互いに顔見知りであることもあって、炎上するようなことはなかったように思います。炎上の原因を、各人の行き過ぎた正義感によるものだというような風潮があるようですが、私はそのようには思いません。

 

相手に対するリスペクトが少しでもあれば、かなり大きい範囲で寛容になれると、私は確信します。私たち人類は、アフリカ大陸の低地で生まれ全世界に散りじりになって、数万年の単位でそれぞれの歴史を刻んで来たのです。

 

ほんの少しの違いしかないからこそ、たまに大きないさかいを起こすのです。それは、周波数が少ししか違わない2つの音波や振動が共鳴して、ワイングラスをこなごなに割ってしまうような、大きなエネルギーを生み出してしまう現象に似ています。

 

ところが、ほんの少しの周波数の違いがあっても、互いに相手を信頼して、ほんの少し合わせようとするだけで、美しいハーモニーとして人々の大きな感動を呼ぶこともできるのです。

 

このような話を、あなたはどのように考えますか。

 

 

 

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お初天神に初詣に行ってきました。

2019年が明けました。近松門左衛門の曽根崎心中で有名な、お初天神に初詣に行ってきました。JR大阪駅から歩いて10分ほどで行ける、繁華街の片隅にある神社です。

 

お初のような美人になりたい女性の初詣客が混ざっているので、『恋人の聖地』という割には、他の神社と比較しても恋人同士の初詣客がそれほど多いわけではありません。

 

 

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2019初詣

 

境内を廻ってみて気になったのが、おみくじの種類の多さです。六角柱の箱から棒を引くタイプの、普通の『和・英バイリンガルおみくじ』と『恋みくじ』、透明な箱から折りたたんだおみくじを直接取るタイプのもの、それに自動販売機で買う格安タイプのおみくじもあります。

 

さらに社殿の近くには、ロボット獅子舞が神殿から選んできてくれるタイプの『おみくじ』と『恋みくじ』までありました。選べるおみくじの種類が半端ないと思っていたら、開運稲荷社の近くにも『おまけ付きおみくじ』が置いてあり、なんとホームページ(PC版)からもおみくじを引くことができました。

 

ここまでやるならいっそのこと、amazonでおみくじを買えるようにして、大吉が出たらmercariに出品してみて…、などと、正月早々何を考えてしまうことやら。

 

インターネットが高度に発達した社会では、おみくじはどんな形態になっていくんでしょうね。引いたおみくじのありがたみを感じながら、スマホで読む時代が来るのも良いかもしれません。

 

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平成最後の年末に想うこと

何を言うにも『平成最後の』になってしまう今日この頃、来年5月に予定されている新しい天皇の即位の礼までこの状況が続くのでしょうか。時代の移り変わりには、期待と追憶が入り混じった気分が続きます。

 

時代が移り変わっても遺したいものもあれば、早急に変えてしまいたいものもあります。古き良き時代の習慣を、伝統としてそのまま残すのか、現状に適合するように変革していくかは、いつの時代でも選択の難しい問題であると思います。

 

2020年開催の東京オリンピックも、2025年開催の大阪万博も、どちらも昭和の時代に日本で初めて開催されて、2度目の開催になります。1度目の経験と手法のどこを生かして、新しい手法や技術をどう取り入れるのかが、気になるところです。

 

前回の東京オリンピックでは、衛星放送やカラー放送の新技術が世界的に発信されました。今回は、4K・8K放送が世界デビューされることになりそうです。昭和の大阪万博では、アメリカ館とソ連館が超人気館でした。今度の大阪万博は、アメリカ館と中国館の組み合わせがそれに代わるのでしょうか。

 

時代が移り変わっても、変わらない形態もあります。例えば、四国八十八箇所巡礼のお遍路さんです。廻り方については、歩きの人もいれば、様々な種類のバスツアーの人も、タクシーや車を利用する人もいて、バラエティに富んでいます。しかしながら、金剛杖や菅笠といった装束は、ほとんどの人が古式ゆかしく楽しんでいます。

 

これに対して、時代が変わって変革してしまったものも多数あります。伊勢参りや富士登山がそれにあたると思います。どちらも江戸時代に流行った”講”や装束の伝統はまったく残っておらず、その工程も”全てを歩き”で楽しむ人など、ほとんど皆無です。

 

どちらにしても、その時代に合わせて人それぞれに思う存分イベントを楽しめれば良いのではないでしょうか。新しい年や新しい時代をどのように楽しんでいくかなど、いろいろ考えながら、明日からの大晦日や年越しを迎えようかと考えています。

 

 

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年賀状って本当に日本の文化や伝統というものなのでしょうか。

年賀はがきの発行枚数が2003年をピークに減少しているそうです。携帯メールやSNSで年賀のやりとりをする人々が増えているということでしょう。このような傾向を、日本の文化や伝統が壊れてしまうと嘆く人々がいるようです。年始のあいさつを行う手段が変化しているだけなのに、と思うのですがどうでしょう。

 

この国では元々、大化の改新で遠くの知り合いと書状での年賀を行う習慣ができたそうです。中央集権国家として地方に赴任する役人が出現したので、畿内に残る知り合いとの年始のあいさつを行う手段が必要になったということだと、思われます。

 

書状で年賀のあいさつを行う習慣は、明治維新後に郵便はがきが出現してから、はがきの年賀状のやりとりに変化したらしいです。主に現在のような官製の年賀はがきが発行されたのは、第2次世界大戦後の1949年以降だそうです。

 

なあんだ、やっぱりね、と私は思います。知り合いと新年を祝いあうのは、この国の伝統行事ということで間違いなさそうですが、普段会えない知り合いとの年賀のあいさつをする手段は、年賀はがきに限らなくてよさそうです。

 

科学技術が発達した21世紀になったので、年賀はがきよりもインターネットでサクサクと、普段会えない知り合いに年賀をやりとりするように変化するのが自然な成り行きであると、思われます。

 

鉄腕アトムが天馬博士によって作られた『2003年』をピークにして、年賀はがきの発行枚数が減少している事実も、なにやら因縁というか、浪漫のようなものを感じてしまいますね…。

 

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拡張現実がもたらしたことと、近い将来にもたらすもの

ポケモンGOが進化を続けています。登場するポケモンの種類が増えているだけでなく、クリアできるイベントの種類も頻度も飛躍的に増強され、とうとうゲーム機と連携するアプリケーションも発売されてしまいました。

 

バトルのたびにジムに集まる中高年のおじさんおばさんトレーナーが、孫や近所の子供たちに、育てたポケモンを分けてあげることができるまでになったようです。ポケモンGOの拡張現実は、ゲームに参加していない人には見えない社会の階層を、確実に拡げているように思います。

 

鉄道ファンに例えて言えば、乗り鉄、撮り鉄、録り鉄、降り鉄、車両鉄、駅鉄、時刻表鉄、駅弁鉄、収集鉄など、多岐にわたる切り口で拡がりを持っているようなものです。季節や地域ごとのイベントが定常的に開催され続ければ、ポケモンGOコミュニティとしてさらに安定すると思われます。個別のポケモンやイベント毎のファンの集いなども開催されるようになっていくかも知れません。

 

ポケモンGOの持つ、現実の地図上に独自の世界を創り上げる拡張現実のコンセプトは、もっと活用されるべきだと思います。この拡張現実を活用すれば、例えば居酒屋で、自分と同じ球団のファンがどこに座っているかをスマホに表示することもできるでしょう。そのようなアプリがあれば、旅先などで一人で居酒屋に入っても、楽しく過ごすことができるのではないでしょうか。

 

もっと複雑な条件を入力できるようにすれば、駅や大型商業施設で、同じ価値観を持つ異性を見つけるアプリが作れるかもしれません。そのようなアプリができれば、まさに『運命の糸』を、スマホに表示させることができるようになるということです。なんだか、とてもワクワクしてしまいますよね。

 

東京オリンピックなどの国際的なイベントがあるときも、道案内などのボランティアを登録しておいて、日本に訪れた人がスマホを見れば、すぐにボランティアを見つけて言葉に不自由せずに移動したり観光したりができるようにすることもできますね。

 

街の中を案内板だらけにするよりも、よっぽどスマートな方法だと思うのですが、いかが思われますでしょうか。

 

 

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大阪万博2025と大阪万博1970とをつなげるモノをつくってみたい

55年の時を挟んで、大阪で2度目の万国博覧会が開催されます。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」であり、前回のテーマは「人類の進歩と調和」でした。どちらも人類の将来を前向きに捉えるスローガンとなっています。

 

1970年当時、”中人”チケットで何度も会場に通っていた私は、時を隔てた二つの万博を連続性を持ったものとして表現できたら面白いと、考えています。あの時の熱気や活気を今度の万博で再現できれば、人々が今よりもっと元気になるように思うからです。

 

 

例えば、前回の展示物が現在ではどのように進化しているか、というようなものはどうでしょう。ワイヤレステレフォンからスマホに、人間洗濯機から介護用バスに、電気自動車からエコカーに、自動演奏からAI作曲に、等々。進化展示品は、かなりの数になりそうで楽しみです。

 

前回の会場と今回の会場とを実際につなぐものを作っても良いと思います。例えば、前回の会場跡のシンボルである太陽の塔は、大阪城の方角を向いて建てられているようです。それならば、新しい会場にも大阪城と繋がるシンボルを作ってみるのはどうでしょうか。

 

会場が人工島なので、灯台のようなモニュメントを建てるのも良いかもしれません。あるいは、会場内を横断する巨大な直線道路を作って、夜間には大阪城まで続く光の帯のように見える演出を施せば、かなりインスタ映えしそうですし、人気も出そうです。

 

寿命や長生きをテーマとするのですから、55年の時を経た人間を活用する手もあるでしょう。例えば、ボランティアサポーターとして、私たちのような前回の万博を経験している世代に、会場だけでなく関西一円でさまざまな案内役をさせるのです。

 

万博に来ている人の道案内はもちろんですが、関西のそれぞれの地域が55年の間にどのような変化を遂げたのか、これからもどのように変化していくのか、それぞれの地域に現在住んでいる人との交流についても積極的に行うのです。

 

万博会場を中心として、関西全体をコミュニケーションあふれる街につくり変えるような取り組みを行う。これこそが、万博によって「いのち輝く未来社会」を創り出す実践になるのではないかと、私は考えます。

 

大阪万博1970当時の熱気や活気を今度の万博でも再現できれば、関西だけとは言わずに日本全体で人と人とが手助けしあう世の中を創り出すことができれば、かがやく未来がすぐそこに来るように、私には思えます。『大阪万博2025』、とても楽しみです。